2006/12/06

<卒制の現場から>ばんえい競馬制作エピソード

ばんえい競馬に初めてであったのは高校2年のとき。なんとも遅い競馬。立ち止まる競馬に面白さを感じ、4歳年下の弟にも見せました。当時、それを見た弟もスリリングな駆け引きに興味を持ち、笑ってみてました。
それ以前の小学4年の秋。毎週日曜日に塾から帰り、テレビをつけるとやっている中継番組にはまりました。初めて競馬を見た体験です。それ以来、雑誌・新聞・トレーディングカード・人形・漫画・レースの映像収集等をし、ギャンブルではなくスポーツとして競馬をとらえるようになりました。

 早稲田川口に入学した時の面接も面接官の黒田先生・角井先生に競馬好きだと言うことを伝え、いつか競馬の映像を作ってみたいという主張をしたのを覚えています。

 2年次修了作品でカメラを3台持って名古屋へのロケ、個人での制作を行ったのは今までグループ制作をしてきた自分がどこまでできるのかを試したかったため。
そこで自分の持つ力、弱点が浮き彫りになり卒業制作につなげようと思いました。

実際、競馬のネタを卒業制作にしようと思っていたのは2年の冬。最初は冗談でした。
しかし、ディープインパクトという馬が現れ、ギャンブルの枠を越えて世間が盛り上がりはじめ、本当に競馬ネタをやるなら今だと感じました。
最初はサラブレッドをやりたかったのですが、ゼミのプレゼンで首をかしげられ、思い出したのがばんえい競馬です。

北海道のみで行われているため短期で、しかも、撮影に失敗したら金銭的にも取り直しが効かないリスクを負ったものになると感じました。準備は慎重に。撮影開始も他のゼミ仲間よりも遅れました。

準備段階において周囲に手伝い要請をしたところ、まず同意してくれたのが2年の稲元雅俊君と新井上君です。

第二文学部の授業に参加し、予備校時代からの友人で早稲田の映画サークルに所属する菅根嘉己君(早大・二文2年)にも事情を話、スケジュールの空いている期間、参加してくれることになりました。

出発前に苦労したのは北海道までの行程。お盆前で、一番安く行ける大洗ー苫小牧間の車を運べるフェリーがとれませんでした。

<1日目>
カメラ三台を含む撮影機材、生活道具を積んで自力で走っていくことになり、津軽海峡のみフェリーで渡りました。

菅根君(と共に、疲れから来るイライラで時々喧嘩をしながらひたすら北上の26時間。事故だけは気をつけました。



<2日目>
岩見沢に到着してからは卒業生の千葉謙太郎さんのお父さんにお世話になりました。駅近くの2LDKの部屋を3週間3万で特別にお借りし、アジトにしました。回りは繁華街だったので食事には苦労しませんでした。

苦しかったのは暑さ。あまり風通しのよくない部屋でした。

<3日目>
競馬場に行き、取材開始。組合の広報の方に撮影上の注意を受け、午後は、ばんえい競馬のPRイベントで札幌近くのショッピングモールに行きました。夜は歓迎の意味を込めて串焼き屋さんに連れていってくれました。

<4日目>
早朝5時から調教の見学&撮影とお世話になる『ミサイルテンリュウ』の槻舘調教師への挨拶。

初めてレースを見学し、撮影の練習を重ねました。
また、インターネットテレビGyao BANBA王の制作スタッフにも挨拶。競馬場内に設けられたスタジオにいつでも顔出していいという東京では考えられない環境に驚き・喜びました。

<5日目>
1日中。撮影の練習。突然、BANBA王)に出てくれと言われ、大はしゃぎしました。少し、緊張しましたが、おしゃべり全開で10分間のゲスト出演を終えました。

<6日目>
菅根君が夕方の船で東京に戻る日でした。『ミサイルテンリュウ』が実際にコースを使った練習レースに出るというのでその撮影。残念ながらうまく撮る事ができませんでした。

<休日の過ごし方>
休日は撮った映像のチェック。
出来事にそった構成を考える。
掃除・洗濯
牧場訪問


<本番まであと3日>
1人で競馬の撮影を行う。夕方、稲本君と新井君が苫小牧に到着し、迎えにいく。


<本番まであと2日>
朝4時から調教の撮影。『ミサイルテンリュウ』の調教の撮影を行う。レースはないので昼まで仮眠し、午後からは電車で札幌へ観光。

岩見沢入りしてから連絡をとれた早大理工学部の高橋諒君と合流。夜は居酒屋でご飯を食べる。

高橋君とは高橋恭子先生の紹介で出会いました。卒業制作に費やす人数をふやした方がいいということから先生が興味のある人に声をかけてくださいました。
高橋君は自身も少し競馬に興味があり、話もスムーズに進みました。

<本番前日>
『ミサイルテンリュウ』の最終追い切り。昼間は競馬場での撮影。タイムスケジュールに合わせてリハーサルを重ね、撮影アングルの確認など行いました。

<本番当日>
11時に競馬場入り。
毎レース一人ずつ僕がついて撮影の確認を行う。
本番直前、スタッフは全員手に汗をかいていました。同時に無事先頭でゴールしてほしいという気持ちがありました。

本番では、『ミサイルテンリュウ』がなかなか坂を越えてこないことに動揺し、敗れ去った後ま全員緊張から解き放たれたように放心状態でした。

<レース翌日>
早朝に高橋君は帰京
夕方には稲元・新井が帰京し、再び一人になりました。
最後の一週間は再び牧場巡り、レース映像のチェックなどをしました。

滞在中、最後の開催日は足りないインサート映像の撮影をしました。
帰京の2日前には調教師の槻舘先生が自宅に招待して下さいました。庭でバーベキューし、地元の人のジンギスカンの食べ方を教わりました。

翌日、夜の船に乗る為に苫小牧へ。船酔い気味で帰京しました。

<その後>
東京に帰ってからしばらくしてから編集。槻舘先生の奥さんとはちょくちょく連絡をとり、『ミサイルテンリュウ』の情報・ばんえい競馬の状況報告を受けてます。

それよりも僕の作品を楽しみにしてくれています。
毎週、講評と編集を繰り返し。
9月下旬には北海道新聞の取材を受けました。

そして11月下旬に「ばんえい廃止」の一報が入ってきました。
3月31日までにお世話になった市営競馬組合は解散するためそれより前にレースは打ち切りになるかもしれません。

現段階ではナレーション・音楽も入りました。(12月6日段階)あとは微調整です。
早く作品を北海道に送り、少しでも多くの人に存続アピールに参加しなければならないと感じています。

と、同時にもう一度北海道に行く事も検討中。ところが、夏休みと同じ様な旅費・滞在費も準備できていません。

気候条件も正反対であることから問題は山積みです。再び撮影取材が実現すれば、社会的にもひとまわり大きな作品になるのではないかと考えています。

<写真提供・文>島野貴之 (映像情報科3年生)